講師 鈴木 真由美
ピアノはわたしにとって人生の友であり、心の支えです。
音楽と共に歩む素晴らしさを一人でも多くの方に伝えたいと思い、ピアノ教室を主宰しています。
【幼少期】
〈神社の境内が遊び場 のびのびと育つ〉
神社の宮司である父と、専業主婦の母のもとに長女として生まれました。6つ上に兄がおり、その後なかなか2人目が授からずにいたところ、神社の境内にある伊邪那美命の人形の首が傾き、着ている着物も汚れていたので、不憫に思った母が人形の首を直して綺麗な着物を着せてあげたところ、その翌月に妊娠が発覚。生まれ出た私も、母が直した人形と同じようにやや斜頸で生まれてきたため、きっと神様が授けてくださったんだと近所の方々が口々に話していたそうです。斜頸の首は程なく数ヶ月で治り、そんな私がピアノを始めたのは5歳の時。家の近くにピアノ教室を開設した先生の第1期生となりました。先生のお子さんも私と同級生で、一緒に習い出した子たちも同級生が多く、リトミックのレッスンがとても楽しく先生のことも大好きで、その先生には中学までお世話になりました。
【小学生〜中学生時代】
〈楽しかった幼少期から一転 大変な家庭環境に ピアノが心の支えとなる〉
特別ピアノが上手だったわけでは全くなく、ただただ友達と先生と一緒にピアノが出来ることが喜びで、教室も近かったため通うのが苦にならず続けていました。小学校では、学芸会や合奏の時に伴奏をしたり、それなりにピアノの役を与えられ張り切って練習していたことを覚えています。しかし、レッスンはというと…あまり練習せず先生に会いに行っている状態でした。
私が小学生高学年になった頃、兄が心の病を患い家庭環境も変化していきました。思春期もあってか、街を歩いていると、こちらは知らなくても神社の子としてあちらは私のことを知っているということに、ものすごくストレスを感じ、また兄のことで大変な思いをしている両親の姿を目の当たりにし、「両親には絶対に迷惑をかけたくない」「絶対に両親を悲しませたくない」という強い思いから良い子の私の仮面をかぶるようになったのです。
そんな中、ピアノの先生はいつも私のことを気にかけ、温かい言葉を掛けてくださいました。その頃からピアノを弾くことが心の支えとなり、ますますピアノが大好きになりました。先生の存在もとても大きく、たくさん支えていただいたと改めて思います。
【高校生〜短大時代】
〈絶対にセーラー服が着たい!!〉
私が中学3年生の時、卒業した先輩がセーラー服を着て部活動に現れました。私はその制服に一目惚れしてしまい、その高校に行きたいと親を毎日説得しました。私立はダメだと父に大反対を受けましたが、普段良い子ちゃんだったことが功を奏したのか?なんとか説得に成功。その高校一択で受験し、はれて私はセーラー服に袖を通し、毎日電車に30分揺られ夢のような楽しい高校生活を過ごしました。
皆勤賞を狙っていましたが、残念ながら風邪や熱で泣く泣く学校を休む日もありました。先生とも友達ともとても仲が良く、勉強を頑張っていた私は3年連続成績優秀賞をいただき、3年生の時には学校の名がつく賞をいただきました。
その高校には東北唯一の音楽科があり、そのため、学内にはいつも音楽が溢れていました。私は普通科に通っていましたが、音楽の授業が必修で、その授業はもちろん音楽科の先生が担当。歌の試験があると、歌を本格的にやりなさい!とお声をかけていただいたり、合唱の伴奏を担当すると、伴奏を見てあげるからいらっしゃい と音楽科の校舎に呼んでいただいたり、先生方には本当にお世話になりました。
編入も出来るのよ とお話をしてくださる先生もいらっしゃいましたが、ただでさえ無理を言って通わせてもらっている身。授業料のことを考えるととても親に相談は出来ませんでした。
しかし、やはり高校生活でも音楽を通してたくさんの先生方に出会い、その頃、ピアノの先生も幼少期からお世話になっていた先生のご紹介で、仙台の先生に師事。その先生が声楽家ということもあり、ピアノはもちろん、声楽とソルフェージュも学びました。
楽しかった高校を卒業し、4年大はダメ 県外はダメという父の言うことを聞き、私は県内の短大保育科に入学しました。その保育科は、音楽コースと保育コースに分かれており、私は迷わず音楽コースに入学。そのおかげで、副科では仙台フィルハーモニー管弦楽団のフルート奏者の先生にフルートを学び、ピアノは事前にリサーチしていた先生を指名しレッスンをしていただくことが出来ました。そのピアノの先生のおかげで今の私があると言っても過言ではありません。
初めての短大でのピアノレッスンの日。先生は学校のボロボロのアップライトピアノで素晴らしい演奏をされました。私はどうやったらそんな音が出せるのかどうしても知りたくなり、学校が終わってから先生の自宅に伺い、レッスンを受けるようになりました。
先生にこれまでの私の環境をお伝えしたところ、「ピアノの道を諦めることはない。やってみなさい。応援するから」と心強いお言葉をいただき、そこから私のピアノ練習スイッチが、楽しいモードから真剣モードに切り替わりました。今振り返ってみても、なんとも遅いスタートだったと思います。
そして、2年間の短大生活を終え、音楽の学びを深めるために専攻科に残り更に1年間学生生活を送り、卒業前にヤマハ音楽教室の採用試験を受けることを勧められ、そこから私のピアノ講師人生がスタートしました。
【ピアノ講師のスタート〜現在】
〈更なる先生との刺激的な出会い 神職の資格の勉強に挑む 口コミで集まる生徒〉
ヤマハ音楽教室の講師をしながら、ピアノの研鑽も続け、タイミングよく横山幸雄先生のレッスンを受講する機会に恵まれました。ショパン国際ピアノコンクール入賞で脚光を浴びておられる数年後のことで、とても細かな練習法などを丁寧に教えていただきました。
また、短大で声楽を教わっていた先生が指揮をするママさんコーラスの伴奏も努め、故中田喜直先生の合唱講習に参加し、音楽の楽しさや奏でることの喜びを教えていただきました。「生涯 音楽を大切にね」と優しくお声をかけていただいたことは今でも忘れません。
音楽を通してたくさんの出会いがあり、そのすべてが私の糧となり、心の支えとなりました。
実家が神社ということもあり、20代と40代の時に神職資格を取得するための勉強もいたしました。そのため1ヶ月や2ヶ月まるまる教室をお休みすることもありましたが、その間生徒さんたちは1人も退会することなく、待っていてくださいました。
現在、主宰しているピアノ教室は23年目。ヤマハでは5年間講師を勤め、講師歴28年となります。生徒さんが生徒さんを連れてきて下さり、現在は50名以上の生徒さんと日々楽しくレッスンしています。
日頃のレッスンでは、生徒さんが教室を卒業した後も生涯ピアノに親しんでもらえるように、読譜の力がしっかりと身につくレッスンを心掛けています。
音読み譜読みが短時間で一人で出来る生徒さんが多く、そのため自宅練習も嫌がらず行ってくる生徒さんが増えています。その音読み譜読み法を、全国のピアノ指導者へオンラインでお伝えする活動も行っています。
保護者の皆様からは、先生なら安心して任せられる。いつも笑顔で迎えてくれるので、子供がレッスンを楽しみにしています。という大変嬉しいお声をいただいております。
私自身、家庭環境で子供の頃いろいろな辛い思いも経験しましたが、おかげでどんなご家庭の生徒さんや保護者の方にも心を寄せてレッスン出来ていると思えます。
ご縁あって教室に通ってきている生徒さんたちにとっても、ピアノが心の支えとなってくれるように、これからも子どもたちの無限の力を信じて、ピアノ講師と神職の二足の草鞋を履き続けて参りたいと思います。
【資格】
カワイ音研会会員
(一社)全日本ピアノ指導者協会指導会員
JIA音楽療法インストラクター
JAAMPメンタル心理ミュージックアドバイザー
【指導者賞・生徒様実績】
東北青少年音楽コンクール指導者賞受賞
グレンツェンピアノコンクール指導者賞受賞
ブルグミュラーコンクールレッスン賞受賞
ピティナピアノステップ支部指導者賞受賞
生徒さんが日本バッハコンクール全国大会
グレンツェンピアノコンクール全国大会出場
他、生徒さんのコンクール受賞多数ございます。
教室にお越しの際は、
是非神社にもお詣りください。
鈴木真由美|公式インスタグラム
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